の兵卒で浜田友太郎以下二十人、八番隊の兵卒で永野峰吉以下二十一人、計四十一人である。
十九日になって射撃しなかったと答えたものは、夜に入って御池六丁目の商家へ移され、用意が出来次第帰国させると言い渡された。これに反して射撃したと答えたものは銃器弾薬を返上して、預けの名目の下《もと》に、前に大阪に派遣せられた砲兵隊の監視を受けることになり、六番隊は従前の通長堀の本邸に、八番隊は西邸《にしやしき》に入れられた。
二十日には射撃しなかったと答えたものが、長堀藩邸の前から舟に乗った。後にこの人達は丸亀を経て、北山道を土佐に帰り着いた。そして数日間|遠足留《えんそくどめ》を命ぜられていたが、後には平常の通心得べしと云うことになった。射撃したと答えたものの所へは、砲隊組兵卒に下横目が附いて来て、佩刀《はいとう》を取り上げた。この人達の耳にも、死刑になると云う話がもう聞えたので、中には手を束《つか》ねて刃《やいば》を受けるよりは、寧《むしろ》フランス軍艦に切り込んで死のうと云ったものがある。これは八番隊の土居八之助が無謀だと云って留めた。それから一同刺し違えて死のうと云ったものがある。丁度そこへ
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