側に出張る。手水《ちょうず》の柄杓《ひしゃく》は徒士が取る。夜は不寝番《ねずばん》が附く。挨拶に来るものは縁板に頭を附ける。書物を貸して読ませる。病気の時は医者を出して、目前で調合し、目前で煎《せん》じさせる。凡そこう云う扱振である。
 三月二日に、死刑を免じて国元へ指返《さしかえ》すと云う達しがあった。三日に土佐藩の隊長が兵卒を連れて、細川、浅野両藩にいる九人のものを受取りに廻った。両藩共|七菜《しちさい》二《に》の膳附の饗応《きょうおう》をして別を惜んだ。十四日に、九人のものは下横目一人宰領二人を附けられて、木津川口から舟に乗り込み、十五日に、千本松を出帆し、十六日の夜なかに浦戸《うらど》の港に着いた。十七日に、南会所をさして行くに、松が鼻から西、帯屋町までの道筋は、堺事件の人達を見に出た群集で一ぱいになっている。南会所で、下横目が九人のものを支配方に引き渡し、支配方は受け取って各自の親族に預けた。九人のものはこの時一旦|遺書《ゆいしょ》遺髪《ゆいはつ》を送って遣《や》った父母妻子に、久し振の面会をした。
 五月二十日に、南会所から九人のものに呼出状が来た。本人は巳《み》の刻、実父
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