のは再び変事の起らぬうちに、早く大阪まで引き上げようと思って、橋詰以下三人の乗った駕籠を、早追の如くに急がせた。細川家のものが声を掛けて、歩度を緩《ゆる》めさせようとしたが、浅野家のものは耳にも掛けない。とうとう細川家のものも駆足になった。
大阪に着くと、九挺の駕籠が一旦長堀の土佐藩邸の前に停められた。小南が門前に出て、橋詰に説諭した。そこから両藩のものが引き分れて、各《おのおの》預けられた人達を連れて帰った。橋詰には医者が附けられ、又土佐藩から看護人が差し添えられた。
九人のものは細川、浅野両家で非常に優待せられた。中にも細川家では、元禄年中に赤穂浪人を預り、万延元年に井伊掃部頭《いいかもんのかみ》を刺した水戸浪人を預り、今度で三度目の名誉ある御用を勤めるのだと云って、鄭重《ていちょう》の上にも鄭重にした。新調した縞《しま》の袷《あわせ》を寝衣《ねまき》として渡す。夜具は三枚布団で、足軽が敷畳をする。隔日に据風呂《すえふろ》が立つ。手拭と白紙とを渡す。三度の食事に必ず焼物付の料理が出て、隊長が毒見をする。午後に重詰の菓子で茶を出す。果物が折々出る。便用には徒士《かち》二三人が縁
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