らせた。九人は跳《は》ね起きて迎接した。七家老の中三人が膝を進めて、かわるがわる云うのを聞けば、概《おおむ》ねこうである。我々はフランス軍艦に往って退席の理由を質《ただ》した。然るにフランス公使は、土佐の人々が身命を軽んじて公に奉ぜられるには感服したが、何分その惨澹《さんたん》たる状況を目撃するに忍びないから、残る人々の助命の事を日本政府に申し立てると云った。明朝は伊達少将の手を経て朝旨《ちょうし》を伺うことになるだろう。いずれも軽挙|妄動《もうどう》することなく、何分の御沙汰を待たれいと云うのである。九人は謹んで承服した。
中一日置いて二十五日に、両藩の士が来て、九人が大阪表へ引上げることになったこと、それから六番隊の橋詰、岡崎、川谷は安芸藩へ、八番隊の竹内、横田、土居、垣内、金田、武内は肥後藩へ預けられたことを伝えた。九挺の駕籠は寺の広庭に舁《か》き据えられた。一同駕籠に乗ろうとする時、橋詰が自ら舌を咬《か》み切って、口角から血を流して倒れた。同僚の潔く死んだ後に、自分の番になって故障の起ったのを遺憾だと思ったのである。幸に舌の創は生命を危くする程のものではなかったが、浅野家のも
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