を墜した。切腹の刀の運びがするすると渋滞なく、手際の最も立派であったのは、この大石である。
これから杉本、勝賀瀬、山本、森本、北城、稲田、柳瀬の順序に切腹した。中にも柳瀬は一旦左から右へ引き廻した刀を、再び右から左へ引き戻したので腸《はらわた》が創口から溢《あふ》れて出た。
次は十二人目の橋詰である。橋詰が出て座に着く頃は、もう四辺《あたり》が昏《くら》くなって、本堂には燈明が附いた。
フランス公使はこれまで不安に堪えぬ様子で、起ったり居たりしていた。この不安は次第に銃を執《と》って立っている兵卒に波及した。姿勢は悉《ことごと》く崩れ、手を振り動かして何事かささやき合うようになった。丁度橋詰が切腹の座に着いた時、公使が何か一言云うと、兵卒一同は公使を中に囲んで臨検の席を離れ、我皇族並に諸役人に会釈もせず、あたふたと幕の外に出た。さて庭を横切って、寺の門を出るや否や、公使を包擁《ほうよう》した兵卒は駆歩《かけあし》に移って港口へ走った。
切腹の座では橋詰が衣服をくつろげて、短刀を腹に立てようとした。そこへ役人が駆け付けて、「暫く」と叫んだ。驚いて手を停めた橋詰に、役人はフランス
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