八十二歳であった。寺は其角と同じく二本榎上行寺である。」文淵堂の言《こと》に従えば、わたくしの記事には誤がなかったらしい。猶《なお》考うべきである。
香以のその他の友に関して、近隣の梅本高節さんは語った。「香以の友阿心庵是仏が谷中三河屋の主人なることは伝に見えていた。是仏の俗称は斎藤権右衛門であった」と云うのである。わたくしはこれを聞いて始て是仏の狩谷矩之の生父なることを知った。斎藤権右衛門には三子があった。長を権之助という。是が四世清元延寿太夫である。諸書にこの人の俗称を源之助と書してあるが、あるいは後に改めたものか。仲は狩谷三平懐之(※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎望之の実子)の養子三右衛門矩之である。季が父の称を襲《つ》いで権右衛門と云い、質店の主人となったと云う。
梅本氏はまた香以の今一人の友小倉是阿弥の事を語った。「是阿弥は高木氏で、小倉はその屋号であった。その団子坂上の質商であったことは伝に云うが如くである。是阿弥の妻をぎんと云って、その子を佐平と云った。また佐平に息真太郎、女《むすめ》啓があった。然るに佐平もその子女も先ず死して、未亡人ぎんが残った。これが
前へ
次へ
全55ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング