うぶし》の太夫、良斎は落語家、北渓は狩野《かの》家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内は医師、三竺、喜斎は按摩《あんま》である。
 竜池は祝儀の金を奉書に裹《つつ》み、水引を掛けて、大三方に堆《うずたか》く積み上げて出させた。
 竜池は涓滴《けんてき》の量だになかった。杯は手に取っても、飲むまねをするに過ぎなかった。また未《いま》だかつて妓楼に宿泊したことがなかった。
 為永春水はまだ三鷺《さんろ》と云い、楚満人《そまびと》と云った時代から竜池と相識になってこの遊の供をした。竜池が人情本中に名を留《とど》むるに至ったのは此《ここ》に本《もと》づいている。
 竜池は我名の此《かく》の如くに伝播《でんぱ》せらるるを忌まなかった。啻《ただ》にそれのみではない。竜池は自ら津国名所と題する小冊子を著《あらわ》して印刷せしめ、これを知友に頒《わか》った。これは自分の遊の取巻供を名所に見立てたもので、北渓の画が挿《さしはさ》んであった。
 文政五年に竜池の妻が男子を生んだ。これは摂津国屋の嗣子で、小字《おさなな》を子之助《ねのすけ》と云った。文政五年は午《うま》であるので、俗習に循《したが》って、そ
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