りかた》の代である。
 父伊兵衛は恐らくは帳簿と書出とにしか文字を書いたことはあるまい。然《しか》るに竜池は秦星池《はたせいち》を師として手習をした。狂歌は初代|弥生庵雛麿《やよいあんひなまろ》の門人で雛亀《ひなかめ》と称し、晩年には桃《もも》の本鶴廬《もとかくろ》また源仙《げんせん》と云った。また俳諧をもして仙塢《せんう》と号した。
 父伊兵衛は恐らくは遊所に足を入れなかったであろう。然るに竜池は劇場に往き、妓楼《ぎろう》に往った。竜池は中村、市村、森田の三座に見物に往く毎に、名題《なだい》役者を茶屋に呼んで杯を取らせた。妓楼は深川、吉原を始とし、品川へも内藤新宿へも往った。深川での相手は山本の勘八と云う老妓であった。吉原では久喜《ひさき》万字屋の明石《あかし》と云うお職であった。
 竜池が遊ぶ時の取巻は深川の遊民であった。桜川由次郎、鳥羽屋小三次、十寸見《ますみ》和十、乾坤坊《けんこんぼう》良斎、岩窪《いわくぼ》北渓、尾の丸|小兼《こかね》、竹内《ちくない》、三竺《さんちく》、喜斎等がその主なるものである。由次郎は後に吉原に遷って二代目|善孝《ぜんこう》と云った。和十は河東節《かと
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