あっただろう。取巻の一人勝田諸持は、この年二月二十二日に六十八歳で歿した。彼《かの》学者の渋江抽斎《しぶえちゅうさい》、書家の市河米庵、ないし狂歌師仲間の六朶園《ろくだえん》荒井雅重、家元仲間の三世清元延寿太夫等と同じく、虎列拉《コレラ》に冒されたのかも知れない。諸持は即ち初代宇治紫文である。
安政六年には香以の身代がやや傾きはじめたらしい。前田家、上杉家等の貸附はほぼ取り立ててしまい、家に貯えた古金銀は概《おおむ》ね沽却《こきゃく》せられたそうである。しかし香以の豪遊は未だ衰えなかった。
香以はこの年江の島、鎌倉、金沢を巡覧した。同行したものは為山、等栽、永機、竺仙等であった。小倉是阿弥の茶室の張交《はりまぜ》になっていた紀行が果してこの遊を叙したものであったなら、一行には女も二三人加わっていたはずである。有中は供に立つ約束をして置きながら、出発の間に合わなかったので、三枚肩の早打で神奈川台へ駆け附け、小判五枚の褒美を貰い、駕籠舁《かごかき》も二枚貰った。
香以は途次藤沢の清浄光寺に詣《もう》で、更に九つの阿弥号を遊行上人から受けて人に与えた。
十
香以は旅
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