。東栄は牧冬映である。二人の衣裳持物は都《すべ》て香以の贈《おくりもの》で文左衛門の銀装《ぎんごしらえ》の脇差は香以の常に佩《お》びた物である。この狂言の作者は香以の取巻の一人河竹新七であった。吉六は東栄に扮《ふん》した後、畢生《ひっせい》東鯉と号したが、東は東栄の役を記念したので、鯉は香以の鯉角から取ったのである。
 この年八月二十六日に市川権十郎は芸道に奨《はげ》み、贔屓に負かぬと云う誓文《せいもん》を書き、父七代目団十郎の寿海老人に奥書をさせて香以に贈った。
 香以のこの頃往った妓楼は稲本、相方は二代目小稲であった。所謂《いわゆる》お側去《そばさ》らずの取巻は冬映、最も愛せられていた幇間は都有中であった。
 有中は素《もと》更紗染屋《さらさそめや》の出身で、遊芸には通じていても文字を識らなかった。そこで貸本に由って知識を求め、最も三国志を喜んだ。香以は有中が口を開けば孔明を称するのを面白がって、金を出して遣って孔明祭を修せしめた。今の富豪が乃木祭を行う類である。それからは有中に陣大鼓の綽号《あだな》が附けられた。
 香以はこの年三十七歳であった。恐らくはその盛名の絶頂に達した時で
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