へ出入していたものは、桜川善孝、荻江《おぎえ》千代作、都千国、菅野《すがの》のん子等である。千国は初の名が荻江露助、後に千中と云う。玄冶店《げんやだな》に住んでいた。また吉原に往った時に呼ばれたものは都|有中《うちゅう》、同《おなじく》権平、同米八、清元千蔵、同仲助、桜川寿六、花柳鳴助等である。中にも有中は香以がその頓才《とんさい》を称して、常に傍《かたわら》に侍せしめた。
 吉原の女芸者は見番大黒屋庄六方から、きわ、ぎん、春、鶴《つる》等が招かれた。きわは後花柳寿輔の妻になった。春は当時既に都権平の妻になっていた。駿河屋の鶴は間もなく香以の囲物《かこいもの》にせられた。
 香以は暫く吉原に通っているうちに、玉屋の濃紫を根引した。その時濃紫が書いたのだと云って「紫の初元結に結込めし契は千代のかためなりけり」と云う短冊が玉屋に残っていた。本妻は濃紫との折合が悪いと云って木場へ還された。濃紫は女房くみとなり、次でふさと改めた。これは仲の町の引手茶屋駿河屋とくの抱《かかえ》鶴が引かせられたより前の事である。
 家にいての香以の生活は余り贅沢《ぜいたく》ではなかった。料理は不断|南鍋町《みなみ
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