なべちょう》の伊勢勘から取った。蒲焼《かばやき》が好で、尾張屋、喜多川が常に出入した。特に人に馳走《ちそう》をする時などは、大抵数寄屋町の島村半七方へ往った。香以を得意の檀那としていた駕籠屋《かごや》は銀座の横町にある方角と云う家で、郵便のない当時の文使《ふみづかい》に毎日二人ずつの輿丁《よてい》が摂津国屋に詰めていた。
 濃紫が家に来た後も、香以の吉原通は息《や》まなかった。遊に慣れたものは燈燭《とうしょく》を列《つら》ねた筵席《えんせき》の趣味を忘るることを得ない。次の相手は同じ玉屋の若紫であった。
 ある日香以は松本交山を深川富が岡|八幡宮《はちまんぐう》の境内に訪うて、交山が松竹を一双の金屏風《きんびょうぶ》に画いたのを見た。これは某《それがし》が江戸町一丁目和泉屋平左衛門の抱泉州に贈らむがために画かせたものであった。
 香以はこの屏風を横奪して、交山には竹川町点心堂の餡《あん》に、銀二十五両を切餅《きりもち》として添えて遺《おく》った。当時二十五両包を切餅と称したからである。交山は下戸であった。
 香以は屏風巻上始末を書いて悪摺《あくずり》に摺《す》らせ、知友の間に頒《わか》
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