歿後に敗屋となって、補繕し難いために毀《こぼ》たれた。反古張りの襖も剥落《はくらく》し尽していた。今にして思えばこれは安政六年の夏に、香以が三十八歳で江の島、鎌倉を廻《めぐ》った紀行の草稿であったらしい。
 崖の上の小家の址《あと》は、今は過半空地になっている。大正四年に母が七十の賀をする代《かわり》に、部屋を建てて貰《もら》いたいと云ったので、わたくしは母の指図に従って四畳半の見積を大工に命じた。そのうち母が大病になった。わたくしは母の存命中に部屋を落成させようとして工事を急いだ。五年三月に部屋は出来て、壁の中塗だけ済んだ。母はこれに臥所《ふしど》を徙《うつ》して喜んだが、間もなく世を去った。今わたくしが書斎にしているのがこの部屋で、壁は中塗のままである。昔崖の上の小家の台所であった辺が、この部屋の敷地である。
 父母と共に崖の上の小家に移った時から、わたくしは香以の名を牢記《ろうき》している。既にしてわたくしはこの家の旧主人小倉が後に名を是阿弥《ぜあみ》と云ったことを知った。香以は相摸国《さがみのくに》高座郡藤沢の清浄光寺の遊行上人《ゆうぎょうしょうにん》から、許多《あまた》の阿弥
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