面した小家のある方から、団子坂上の街に面した方へ鉤形《かぎなり》に残っている。その街に面した処に小さい町家が二軒ある。一つは地所も家も高木のもので、貸店《かしだな》になって居り、一つは高木の地所に鳶頭《とびがしら》の石田が家を建てて住んでいる。ぎんは取引が済んでこの貸店に移った。
父は千住の大きい家を畳んで、崖の上の小家に越して来た。千住の家は徳川将軍が鷹野《たかの》に出る時、小休所《こやすみじょ》にしたと云う岡田氏の家で、これにほとんど小さい病院のような設備がしてあったのである。父は小家に入って「身軽になったようだ」と云った。そこへわたくしは太田の原の借家から来て一しょになった。
小家は三間に台所が附いている。三間は六畳に、三畳に、四畳半で、四畳半は茶室造である。後にこの茶室が父の終焉《しゅうえん》の所となった。
茶室の隣の三畳に反古張《ほぐばり》の襖《ふすま》が二枚立ててある。反古は俳文の紀行で、文字と挿画《さしえ》とが相半《あいなかば》している。巻首には香以散人の半身像がある。草画ではあるが、円顔の胖大漢《はんだいかん》だと云うことだけは看取せられる。
崖の上の小家は父の
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