でしょう。ブダペストへ参ってからも、わたくしはあなたと御交際を続けて行きました時も、まだ御主人がどんな方だか知らなかったのですね。
 女。ええ。
 男。そのころある日の事ですが、あなたはわたくしに写真を一枚お見せになりましたね。それがすばらしい好男子だったのです。あなたのおっしゃるには、「これが、わたくしの夫ですから、よく見ておおきなさい」と云うことでした。わたくしは仰せの通りよく拝見しました。その写真の男は Dorian Gray と云う青年はあんなだったかと思うほど美しくて、Edward 七世はあんなだったかと思うほど様子がよかたのです。髪は波を打っています。眉は秀でています。優しい目に男らしい権威がある。口はグレシアの神の像にでもありそうな恰好をしているのですね。わたくしはあの時なんとも言わずにいましたが、あの日には夕食が咽《のど》に通らなかったのです。
 女。大方そうだろうと存じましたの。
 男。実は夜寝ることも出来なかったのです。あのころはわたくしむやみにあなたを思っていたでしょう。そこで馬鹿らしいお話ですが、何度となく床から起きて、鏡の前へ自分の顔を見にいったのですね。わた
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