郎兵衞が沖船頭の新七を使つてゐるのである。
 元文元年の秋、新七の船は、出羽國秋田から米を積んで出帆した。其船が不幸にも航海中に風波の難に逢つて、半難船の姿になつて、積荷の半分以上を流出した。新七は殘つた米を賣つて金にして、大阪へ持つて歸つた。
 さて新七が太郎兵衞に言ふには、難船をしたことは港々で知つてゐる。殘つた積荷を賣つた此金は、もう米主に返すには及ぶまい。これは跡の船をしたてる費用に當てようぢやないかと云つた。
 太郎兵衞はそれまで正直に營業してゐたのだが、營業上に大きい損失を見た直後に、現金を目の前に並べられたので、ふと良心の鏡が曇つて、其金を受け取つてしまつた。
 すると、秋田の米主の方では、難船の知らせを得た後に、殘り荷のあつたことやら、それを買つた人のあつたことやらを、人傳《ひとづて》に聞いて、わざ/\人を調べに出した。そして新七の手から太郎兵衞に渡つた金高までを探り出してしまつた。
 米主は大阪へ出て訴へた。新七は逃走した。そこで太郎兵衞が入牢してとう/\死罪に行はれることになつたのである。

     ――――――――――――――――

 平野町のおばあ樣が來て、恐
前へ 次へ
全21ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング