増があって、甚五郎もその数に漏《も》れなんだが、藤十郎と甚五郎との二人には賞美のことばがなかった。
 天正十一年になって、遠からず小田原《おだわら》へ二女|督姫君《とくひめぎみ》の輿入《こしい》れがあるために、浜松の館《やかた》の忙《いそ》がしい中で、大阪に遷《うつ》った羽柴家へ祝いの使が行くことになった。近習の甚五郎がお居間の次で聞いていると、石川与七郎数正《いしかわよしちろうかずまさ》が御前に出て、大阪への使を承っている。
「誰《たれ》か心の利《き》いた若い者を連れてまいれ」と家康が言う。
「さようなら佐橋でも」と石川が言う。
 やや久しい間家康の声が聞こえない。甚五郎はどうした事かと思っていると、やっと家康の声がする。「あれは手放しては使いとうない。この頃《ごろ》身方についた甲州方《こうしゅうがた》の者に聞けば、甘利はあれをわが子のように可哀《かわい》がっておったげな。それにむごい奴《やつ》が寝首を掻《か》きおった」
 甚五郎はこのことばを聞いて、ふんと鼻から息をもらして軽くうなずいた。そしてつと座を起って退出したが、かねて同居していた源太夫の邸《やしき》へも立ち寄らずに、それき
前へ 次へ
全18ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング