ぬ甚五郎は、とうとう蜂谷の大小を取って、自分の大小を代りに残して立ち退いたというのである。源太夫は家康にこの話をして、何を言うにも年若の甚五郎であるから、上《かみ》の思召《おぼしめ》しで助命していただければよし、もしかなわぬ事なら、人手にかけず打ち果たしてお詫《わ》びをしたいと言った。
家康はこれを聞いて、しばらく考えて言った。「そちが話を聞けば、甚五郎の申し分や所行《しょぎょう》も一応道理らしく聞こえるが、所詮《しょせん》は間違《まちご》うておるぞよ。しかしそちも言うとおり、弱年の者じゃから、何かひとかどの奉公《ほうこう》をいたしたら、それをしおに助命いたしてつかわそう」
「はっ」と言って源太夫はしばらく畳《たたみ》に顔を押《お》し当てていた。ややあって涙《なみだ》ぐんだ目をあげて家康を見て、「甚五郎めにいたさせまする御奉公は」と問うた。
「甚五郎は怜悧《れいり》な若者で、武芸にも長《た》けているそうな。手に合うなら、甘利《あまり》を討たせい」こう言い放ったまま、家康は座を起《た》った。
望月《もちづき》の夜《よ》である。甲斐《かい》の武田勝頼《たけだかつより》が甘利|四郎三郎
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