しばしうぢ》と、十六歳になつた長政の妻保科氏とを俵にくるんで、しかかごと云ふものに入れ、浴室の壁の下を穿《うが》つて持ち出し、商人に粧つた友信に擔《にな》はせて、邸の裏の川端《かはばた》に繁つた蘆《あし》の間を通り、天滿の出入商人|納屋《なや》小左衞門方へ忍ばせた。これは豐臣方の遠見の番人に見付けられぬためである。さて納屋方《なやかた》では兩夫人を内藏《うちくら》に入れ、又家捜しをせられた時の用心に、主人小左衞門が寢所の板敷を疊一疊の幅だけ穿つて、床下に疊を敷き、藏からそこへ移すことの出來るやうにして置いた。それから小左衞門夫婦が奉公人に知らせぬやうに食事を運んだ。小左衞門の家には重昌が世話になつてゐて守護し、友信は其隣の家から見張つてゐた。
二三日立つて、利安が東條紀伊守の邸へ樣子を伺ひに往つて、話をしてゐると、黒田邸へ軍兵《ぐんぴょう》が寄せると云ふ知らせがあつた。利安は、これは存じも寄らぬ、いかなる仔細《しさい》があつての事か、御存じかと云つて、主人紀伊守の氣色を伺つた。返答によつては紀伊守を討ち取つて黒田邸へ歸らうと思つたのである。紀伊守は一向存ぜぬと云つた。利安は馬を飛ばせ
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