忠之の父である。
 天正六年に荒木|攝津守《せつつのかみ》村重が攝津國|伊丹《いたみ》の有岡城に籠《こも》つて織田信長に背《そむ》いた。其時孝高は村重を諫《いさ》めに有岡城に往つて、村重に生け捕られた。利安は後|但馬《たじま》と云つた母里《もり》太兵衞友信、後|周防《すはう》と云つた井上九郎次郎之房等と、代わる/″\商人の姿に身を窶《やつ》して、孝高の押し籠められてゐる牢屋《らうや》の近邊を徘徊《はいくわい》して主を守護した。中にも利安は伊丹の町の銀屋をかたらつて、闇夜《あんや》に番兵を欺き、牢屋の背後の溜池《ためいけ》を泅《およ》いで牢屋に入り、孝高に面會した。翌年十一月瀧川|左近一益《さこんかずます》が有岡城を攻め落した時、利安は番人の逃げ去つた跡へ來て、錠を打ち破つて孝高を連れ出し、有馬に往つて湯治をさせて、やうやう足腰の立つやうにした。
 十年に信長が明智《あけち》日向守光秀《ひうがのかみみつひで》に殺された。孝高父子は此時から木下|秀吉《ひでよし》の下に附いて働き、十五年には孝高は豐前國《ぶぜんのくに》六郡の主にせられた。此時利安は領地を分けて貰つた。十七年に孝高は隠居して如
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