黒田家の家老としては五十餘萬石の國政を與《あづか》り聞き、五萬餘の士卒を支配した。黒田家程の家の去就は天下の安危に關する。現に關が原の役にも、孝高、長政を身方に附けて、徳川家は一統の業を成された。然れば自分は、三四百俵の代官たる貴殿に、手を下げ膝を屈するいはれがない。
此答を聞いて井上は、げにもと悟つて、自分の不心得を謝し、利章と親密に交つて種々の事を質《たゞ》した。
井上が軍法諸流の得失を問うた時、利章は云つた。政治は文武を併せ用ゐるものである。文は寛、武は猛である。武は兇器を用ゐることをのみ言ふのではない。敢爲邁往《かんゐまいおう》の政は皆武である。軍法は武を用ゐる一端に過ぎぬ。流義の沙汰は無用で、七書以外に格別の物は無い。手元を丈夫にして置き、敵情を十分吟味して戰へば勝つ。軍法は常にある。戰場の人員、備立《そなへたて》のみを軍法として心得ては、大局の利を收めることは覺束《おぼつか》ない。
城の繩張の善惡を問うた時、利章は云つた。城は亂世に妻子糧米、器具を入れる物置である。百姓町人の土藏と同じである。名將は城廓に重きを置かぬ。忠實な臣下が即城である。諸侯の身の上では天子の外に
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