大吉利周を連れて立つた。家來で隨從したのは仙石角右衞門、財津大右衞門を始として、譜代の者共數十人であつた。福岡の黒田兵庫が邸に預けられた利章の妻黒田氏と二男吉次郎とには、後に五百石の扶持を賜はることになつた。
利章は盛岡に往つた時四十四歳で、まだ元氣盛んであつたので、妾内山氏を納《い》れた。此女の腹に、後に女子が出來た。
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忠之が長崎番を命ぜられた寛永十八年の冬、盛岡に遠からぬ天領の代官井上某が利章の人柄を慕つて面會したいと言ひ入れた。利章は「浮浪の身の上なれば、御ことわり可申歟《まうすべきか》とも存候へども、閑居徒然の折柄、御尋に預候はば、面談可申候」と返事をした。
井上が廣小路の邸を尋ねて、一間に通つた時、頭巾《づきん》を被つて爐に當つてゐた利章は顏を上げて、「御出御苦勞に存ずる」と、居直りもせずに挨拶した。歳は五十一歳であるが、血色は壯年のものに劣らない。
井上は直參《ぢきさん》の自分に對する挨拶《あいさつ》としては、少し勝手が違ふやうに感じて、暫く樣子を見てゐたが、主人は右の挨拶の外には別に無禮な擧動もせぬ。そこで二言三言物語をして
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