驕奢《けうしや》が、衣食調度の範圍内に止まらないで、大船の造營となり、夫卒の増員となつたのである。利章は最早坐視するに忍びないので、一成や内藏允に留められたにも拘《かゝは》らず、病氣を申し立てゝ家老の職を辭した。忠之は即座にこれを許した。利章は默つて城下の邸を引き拂つて、左右良《まてら》の別邸に引き籠つた。
 忠之はうるさい物を除いた積でゐると、六年早々將軍家から土井|大炊頭利勝《おほひのかみとしかつ》を以て勸告があつた。黒田家の家來栗山父子は若年の主君を輔導すべきであるのに、齡《よはい》八十に垂《なんなん》とする備後は兎も角も、大膳が引き籠り居るは不都合である。出勤させるやうに取り計はれたが宜《よろ》しからうと云ふのである。忠之は據《よんどころ》なく利章に出勤を命じた。
 利章は久し振に出勤したが、忠之は相變らず面を背けてゐる。辭職する前の状態と少しも異なる所がない。將軍家のお聲懸りの利章を、忠之はどうすることも出來ぬが、豫《かね》て懷《いだ》いてゐた惡感情は消えぬのみか、却《かへ》つて募るばかりである。
 雙方のために不快な、緊張した間柄が持續せられてゐるうちに、寛永八年八月十四日
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