に、利章の父卜庵が左右良の別邸で眠るやうに亡くなつた。享年八十一歳である。其頃十太夫はとう/\家老の列に加へられて、九千石を貰つた。實收三萬石の采地《さいち》である。利章は勿論《もちろん》、一成も内藏允も井上内記も、十太夫がいかに御用に立つとは云へ、節目のないものを家老にせられるのは好くあるまいと云つたが、忠之は聽かなかつた。
暫くして忠之は、家老の家には什寶《じふはう》がなくてはならぬと云つて、家康が關が原の役に父長政に與へた具足を十太夫に遺《おく》つた。利章はこれを聞いて、自分で、倉八の邸へ出向いて、其具足を取り上げたが、これだけの事をするのに、忠之には一言もことわらなかつたのである。忠之は怒つたが、これも利章にはなんにも云はずにしまつた。
彼此《かれこれ》するうちに寛永九年になつて、前將軍秀忠が亡くなり、忠之は江戸で葬儀に列して領國へ歸つた。利章が出勤するとか、せぬとか云ふ爭がかうじて、忠之が自分で利章の邸へ出向かうとしたのは此時の事である。原來利章も我慢強いが、忠之も我慢強い。其忠之が此時に限つて、分別のなくなる程|苛立《いらだ》つたには別に原因がある。秀忠の亡くなつたのは
前へ
次へ
全42ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング