れない。何か機會を得たら、しつかり主君に言ふ事にしようと、利章等三人は思つてゐた。
 そのうち罪なくして罰せられたものが一人と、罪あつて免《ゆる》されたものが一人と、引き續いて出來て、どちらも十太夫に連係した事件であつた。一つは博多《はかた》の町人が浮世又兵衞の屏風《びやうぶ》を持つてゐるのを、十太夫が所望してもくれぬので、家來を遣つて強奪させ、それを取り戻さうとする町人を入牢させたのである。今一つは志摩郡の百姓に盗をして召し取られたものがあつて、それが十太夫の妾《せう》の兄と知れて放されたのである。
 利章はとう/\決心して、一成、内藏允に相談し、自ら筆をとつて諫書《かんしよ》を作つた。部類を分けて、經史を引いて論じたのが、通計二十五箇條になつた。決心の近因になつた不正裁判は、賞罰明ならずと云ふ部類に入れて、十太夫を弾劾《だんがい》することに重きを置かず、專ら忠之の反省を求めることにした。さて淨書して之房の道柏、利安の卜庵に被見《ひけん》を請うたのが、寛永三年十一月十二日である。道柏、卜庵はすぐに奥書をして、小林|内匠《たくみ》、衣笠《きぬがさ》卜齋、岡善左衛門の三人に披露を頼んだ。
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