ものが、俄《にはか》に勘氣を蒙《かうむ》ることがある。
次に遊戯又はそれに近い事が、眞面目《まじめ》な事のゆるかせにせられる中で、活氣を帶びて行はれ、それに關係した嚴重な、微細な掟《おきて》が立てられるのが認められる。申樂《さるがく》の者が度々急使を以て召され、又|放鷹《はうよう》の場では旅人までが往來を禁ぜられる類《たぐひ》である。忠之が江戸からの歸に兵庫の宿で、世上の聞えをも憚らずに、傀儡女《くぐつめ》を呼んだこともある。
次に驕奢《けうしや》の跡が認められる。調度や衣服が次第に立派になつて、日々の饌《ぜん》も獻立がむづかしくなつた。
次に葬祭弔問のやうな禮がなほざりになるのが認められる。寛永三年九月十五日に大御臺所《おほみだいどころ》と稱さられてゐた前將軍秀忠の母、織田氏達子の亡くなつた時、忠之は精進をせぬみか、放鷹に出た。家康の命日、孝高の命日にも精進をせず、江戸から歸つても、孝高、長政の靈屋《たまや》に詣《まう》でぬやうになつた。
差當りこれ位の事が目に留まつてゐるが、どれも重大と云ふ事ではない。尤《もつと》も此形勢で押して行くうちに、物に觸れて重大な事が生ずるやも知
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