抱へられた足輕頭《あしがるがしら》倉八長四郎の子に、十太夫と云ふ怜悧《れいり》な若者がゐた。忠之はそれを近習に取り立てゝ、次第に任用して、短い月日の間に、秩祿《ちつろく》を加へられる度數の多いので、心あるものは主家のため、領國のために憂へ、怯懦《けふだ》のものは其人を畏《おそ》れ憚《はゞか》り、陋《いや》しいもの、邪《よこしま》なものは其人にたよつて私を濟さうとするやうになつた。
 然《しか》るに先代長政が臨終に、利章と小河とが聞き取つた遺言には、國政萬端利章、一成、内藏允の三家老で相談し、重大な事は一應之房、利安の兩隱居に告げて取り極める筈《はず》になつてゐる。そこで長政の亡くなつた翌年、寛永元年四月に三家老は一枚の起請文《きしやうもん》を書いて忠之に呈した。第一に三人は忠之に對して逆意を懷かぬ事、第二に何人《なんびと》を問はず、忠之に背き、又は國家の害をなすと認めた時は、三人が忠之に告げて其人の處置を請ふ事、第三に三人を離間するものがあるときは、必ず互に打ち明けて是非を正す事、第四に三人は兄弟同樣に心得る事、第五に三人の中で讒誣《ざんぶ》に逢ふものがあつたときは、三人同意して忠之に
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