た。年の初に前將軍徳川|秀忠《ひでたゞ》の葬儀が濟んで、忠之が下國した時、主立《おもだ》つた諸侍は皆箱崎まで迎に出たのに、利章一人は病氣と稱して城下の邸《やしき》に閉ぢ籠《こも》つて出なかつた。そこで忠之は利章の邸の前を通る時、山下平兵衞を使に遣《や》つて、容態を尋ね、全快次第出勤せいと云はせた。其後も忠之は度々見舞の使を遣り、又利章の療治をしてゐると云ふ醫師|鷹取長松庵《たかとりちやうしようあん》に容態を尋ねた。さて使や醫師の復命を聞くに、どうも利章は重病ではないらしかつた。それから六月十三日になつて、忠之は黒田|市兵衞《いちべゑ》、岡田|善右衞門《ぜんゑもん》の二人を利章の所へ使に遣つて歩行の協《かな》はぬ程の重體ではあるまいから、從《たと》ひ手を引かれてでも出て貰《もら》ひたいと云はせた。利章は歩行が出來ぬから、いづれ全快した上で出仕すると答へた。忠之はすぐに黒田、岡田の二人を再度の使に遣つて、從ひ途中で眩暈《めまひ》が起つても、乘物で城門まで來て貰ひたい。それもならぬなら、當方から出向いて面會すると云はせた。利章は又どうしても全快の上でなくては出ぬと答へた。忠之は二人の使に、利
前へ 次へ
全42ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング