郎が入れた男で、二十歳になる。下請宿《したうけやど》は若狭屋《わかさや》亀吉である。表小使亀蔵が部屋を改めて見れば、山本の外四人の金部屋役人に、それぞれ宛てた封書があって、中は皆白紙である。
 察するに亀蔵は、早晩泊番の中の誰《たれ》かを殺して金を盗もうと、兼《かね》て謀《はか》っていたのであろう。奥羽《おうう》その外の凶歉《きょうけん》のために、江戸は物価の騰貴した年なので、心得違《こころえちがえ》のものが出来たのであろうと云うことになった。天保四年は小売米《こうりまい》百文に五合五勺になった。天明《てんめい》以後の飢饉年《ききんどし》である。
 医師が来て、三右衛門に手当をした。
 親族が駆け附けた。蠣殻町の中邸から来たのは、三右衛門の女房と、伜宇平とである。宇平は十九歳になっている。宇平の姉りよは細川|長門守興建《ながとのかみおきたけ》の奥に勤めていたので、豊島町《としまちょう》の細川邸から来た。当年二十二歳である。三右衛門の女房は後添《のちぞい》で、りよと宇平とのためには継母である。この外にまだ三右衛門の妹で、小倉新田《こくらしんでん》の城主|小笠原備後守貞謙《おがさわらびんごのかみさだよし》の家来《けらい》原田某の妻になって、麻布《あざぶ》日《ひ》が窪《くぼ》の小笠原邸にいるのがあるが、それは間に合わないで、酒井邸には来なかった。
 三右衛門は医師が余り物を言わぬが好いと云うのに構わず、女房子供にも、役人に言ったと同じ事を繰り返して言って聞せた。
 蠣殻町の住いは手狭で、介抱が行き届くまいと言うので、浜町|添邸《そえやしき》の神戸《かんべ》某方で、三右衛門を引き取るように沙汰《さた》せられた。これは山本家の遠い親戚《しんせき》である。妻子はそこへ附き添って往った。そのうちに原田の女房も来た。

 神戸方で三右衛門は二十七日の寅《とら》の刻に絶命した。
 その日の酉《とり》の下刻《げこく》に、上邸《かみやしき》から見分《けんぶん》に来た。徒目附、小人《こびと》目附等に、手附《てつけ》が附いて来たのである。見分の役人は三右衛門の女房、伜宇平、娘りよの口書《くちがき》を取った。
 役人の復命に依《よ》って、酒井家から沙汰があった。三右衛門が重手《おもで》を負いながら、癖者を中の口まで追って出たのは、「平生《へいぜい》の心得方宜《こころえかたよろしき》に附《つき》、格式相当の葬儀|可取行《とりおこなふべし》」と云うのである。三右衛門の創《きず》を受けた現場にあった、癖者の刀は、役人の手で元の持主五瀬某に見せられた。
 二十八日に三右衛門の遺骸《いがい》は、山本家の菩提所《ぼだいしょ》浅草堂前の遍立寺《へんりゅうじ》に葬られた。葬《とむらい》を出す前に、神戸方で三右衛門が遭難当時に持っていた物の始末をした時、大小も当然伜宇平が持って帰る筈であったが、娘りよは切に請うて脇差を譲り受けた。そして宇平がそれを承諾すると、泣き腫《は》らしていた、りよの目が、刹那《せつな》の間|喜《よろこび》にかがやいた。

 侍が親を殺害《せつがい》せられた場合には、敵討《かたきうち》をしなくてはならない。ましてや三右衛門が遺族に取っては、その敵討が故人の遺言になっている。そこで親族打ち寄って、度々評議を凝《こ》らした末、翌天保五年|甲午《きのえうま》の歳の正月中旬に、表向敵討の願をした。
 評議の席で一番熱心に復讐《ふくしゅう》がしたいと言い続けて、成功を急いで気を苛《いら》ったのは宇平であった。色の蒼《あお》い、瘠《や》せた、骨細の若者ではあるが、病身ではない。姉のりよは始終黙って人の話を聞いていたが、願書に自分の名を書き入れて貰うことだけは、きっと居直って要求した。りよは十人並の容貌《ようぼう》で、筋肉の引き締まった小女《こおんな》である。未亡人は頭痛持でこんな席へは稀《まれ》にしか出て来ぬが、出て来ると、若《も》し返討《かえりうち》などに逢《あ》いはすまいかと云う心配ばかりして、果《はて》はどうしてこんな災難に遇ったことかと繰り返してくどくのであった。日が窪から来る原田夫婦や、未亡人の実弟桜井|須磨右衛門《すまえもん》は、いつもそれを慰めようとして骨を折った。
 然るにここに親戚一同がひどく頼みに思っている男が一人いる。この男は本国姫路にいるので、こう云う席には列することが出来なかったが、訃音《ふいん》に接するや否や、弔慰《くやみ》の状をよこして、敵討にはきっと助太刀をすると誓ったのである。姫路ではこの男は家老本多|意気揚《いきり》に仕えている。名は山本九郎右衛門と云って当年四十五歳になる。亡くなった三右衛門がためには、九つ違の実弟である。
 九郎右衛門は兄の訃音を得た時、すぐに主人意気揚に願書を出した。甥《おい》、女姪《めい》が敵討をするか
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