る。肌に琥珀《こはく》色の沢《つや》があって、筋肉が締まっている。石田は精悍《せいかん》な奴だと思った。
 しかし困る事には、いつも茶の竪縞《たてじま》の単物《ひとえもの》を着ているが、膝の処には二所《ふたところ》ばかりつぎが当っている。それで給仕をする。汗臭い。
「着物はそれしか無いのか。」
「ありまっせん。」
 平気で微笑を帯びて答える。石田は三枚持っている浴帷子《ゆかた》を一枚|遣《や》った。
 一週間程立った。春と一しょに泊らせていた薄井の下女が暇を取って、師団長の内へ住み込んだ。春の給料が自分の給料の倍だというので、羨《うらや》ましがって主人を取り替えたそうである。そこで薄井では、代《かわり》に入れた分の下女を泊りによこさないことになった。石田は口入の上さんを呼んで、小女《こおんな》をもう一人|傭《やと》いたいと云った。上さんが、そんなら内の娘をよこそうと云って帰った。
 口入屋の娘が来た。年は十三で久というのである。色の真黒な子で、頗《すこぶ》る不潔で、頗る行儀が悪い。翌朝五時ごろにぷっという妙な音がするので、石田は目を醒《さ》ました。後に聞けば、勝手では朝起きて戸を閉めるまで、提灯《ちょうちん》に火を附けることにしている。提灯の柄《え》の先に鉤《かぎ》が附いているのを、春はいつも長押《なげし》の釘《くぎ》に懸けていたのだそうだ。その提灯を久に持っていろと云ったところが、久が面倒がって、提灯の柄で障子を衝《つ》き破って、提灯を障子にぶら下げたということである。石田は障子に穴のあるのが嫌《きらい》で、一々自分で切張をしているのだから、この話を聞いて嫌《いや》な顔をした。
 石田は口入屋の上さんを呼んで、久を返したいと云った。返して代を傭う積《つもり》であった。ところが、上さんは何が悪いか聞いて直させると云う。何一つ悪くないことのない子である。石田は窮して、なんにも悪くはない。女中は一人で好いと云った。
 石田は達見に往って、第二の下女の傭聘《ようへい》を頼んだ。お上さんは狆をいじりながら、石田の話を聞いて、にやりにやり笑っている。そしてこう云うのである。
「あんたさん、立派なお妾《めかけ》でも置きなさればええにな。」
「馬鹿な事を言っちゃいかん。」
 とにかく頼むと言い置いて、石田は帰った。しかし第二の下女はなかなか来ない。石田はとうとう若い下女一人を使っていることになった。
 三四日立った。七月三十一日になった。朝起きて顔を洗いに出ると、春が雛《ひよこ》の孵《か》えたのを知らせた。石田は急いで顔を洗って台所へ出て見た。白い牝鶏の羽の間から、黄いろい雛の頭が覘《のぞ》いているのである。
 商人が勘定を取りに来る日なので、旦那が帰ってから払うと云えと、言い置いて役所へ出た。午《ひる》になって帰ってみると、待っているものもある。石田はノオトブックにペンで書き留めて、片端から払った。
 晩になってから、石田は勘定を当ってみた。小倉に来てから、始て纏《まと》まった一月間の費用を調べることが出来るのである。春を呼んで、米はどうなっているかと問うてみると、丁度|米櫃《こめびつ》が虚《から》になって、跡は明日《あした》持って来るのだと云う。そこで石田は春を勝手へ下らせて、跡で米の量を割ってみた。陸軍で極《き》めている一人一日精米六合というのを迥《はるか》に超過している。石田は考えた。自分はどうしても兵卒の食う半分も食わない。お時婆あさんも春も兵卒ほど飯を食いそうにはない。石田は直《すぐ》にお時婆あさんの風炉敷包の事を思い出した。そして徐《しずか》にノオトブックを将校行李の中《うち》へしまった。
 八月になって、司令部のものもてんでに休暇を取る。師団長は家族を連れて、船小屋の温泉へ立たれた。石田は纏まった休暇を貰わずに、隔日に休むことにしている。
 表庭の百日紅に、ぽつぽつ花が咲き始める。おりおり蝉《せみ》の声が向いの家の糸車の音にまじる。六日は日曜日で、石田の処《ところ》へも暑中見舞の客が沢山来た。初め世帯を持つときに、渋紙《しぶがみ》のようなもので拵《こしら》えた座布団を三枚買った。まだ余り使わないのに中に入れた綿が方々に寄って塊《かたまり》になっている。客が三人までは座布団を敷かせることが出来るが、四人落ち合うと、畳んだ毛布の上に据《す》わらせられる。今日なぞはとうとう毛布に乗ったお客があった。
 客は大抵|帷子《かたびら》に袴《はかま》を穿《は》いて、薄羽織を被《き》て来る。薄羽織は勿論《もちろん》、袴というものも石田なぞは持っていないのである。石田はこんな日には、朝から夏衣袴《なついこ》を着て応対する。
 客は大抵同じような事を言って帰る。今年は暑が去年より軽いようだ。小倉は人気が悪くて、物価が高い。殊《こと》に屋賃をはじめ、将校の階級によって価《あたい》が違うのは不都合である。休暇を貰っても、こんな土地では日の暮らしようがない。町中《まちじゅう》に見る物はない。温泉場に行くにしても、二日市《ふつかいち》のような近い処はつまらず、遠い処は不便で困る。先ずこんな事である。石田は只はあ、はあと返事をしている。
 中には少し風流がって見る人もある。庭の方を見て、海が見えないのが遺憾だと云ったり、掛物を見て書画の話をしたりする。石田は床の間に、軍人に賜わった勅語を細字に書かせたのを懸けている。これを将校行李に入れてどこへでも持って行くばかりで、外に掛物というものは持っていないのである。書画の話なんぞが出ると、自分には分らないと云って相手にならない。
 翌日あたりから、石田も役所へ出掛に、師団長、旅団長、師団の参謀長、歩兵の聯隊《れんたい》長、それから都督と都督部参謀長との宅位に名刺を出して、それで暑中見舞を済ませた。
 時候は段々暑くなって来る。蝉の声が、向いの家の糸車の音と同じように、絶間なく聞える。夕凪《ゆうなぎ》の日には、日が暮れてから暑くて内にいにくい。さすがの石田も湯帷子《ゆかた》に着更《きか》えてぶらぶらと出掛ける。初のうちは小倉《こくら》の町を知ろうと思って、ぐるぐる廻った。南の方は馬借から北方《きたかた》の果まで、北方には特科隊が置いてあるので、好く知っている。そこで東の方へ、舟を砂の上に引き上げてある長浜の漁師村のはずれまで歩く。西の方へ、道普請に使う石炭屑が段々少くなって、天然の砂の現れて来る町を、西|鍛冶屋《かじや》町のはずれまで歩く。しまいには紫川の東の川口で、旭町《あさひまち》という遊廓《ゆうかく》の裏手になっている、お台場の址《あと》が涼むには一番好いと極めて、材木の積んであるのに腰を掛けて、夕凪の蒸暑い盛を過すことにした。そんな時には、今度東京に行ったら、三本足の床几《しょうぎ》を買って来て、ここへ持って来ようなんぞと思っている。
 孵《か》えた雛《ひよこ》は雌であった。至極丈夫で、見る見る大きくなる。大きくなるに連れて、羽の色が黒くなる。十日ばかりで全身真黒になってしまった。まるで鴉《からす》の子のようである。石田が掴《つか》まえようとすると、親鳥が鳴くので、石田は止《や》めてしまう。
 十一日は陰暦の七夕《たなばた》の前日である。「笹《ささ》は好しか」と云って歩く。翌日になって見ると、五色の紙に物を書いて、竹の枝に結び附けたのが、家毎《いえごと》に立ててある。小倉にはまだ乞巧奠《きこうでん》の風俗が、一般に残っているのである。十五六日になると、「竹の花立《はなたて》はいりませんかな」と云って売って歩く。盂蘭盆《うらぼん》が近いからである。
 十八日が陰暦の七月十三日である。百日紅の花の上に、雨が降ったり止んだりしている。向いの糸車は、相変らず鳴っているが、蝉の声は少しとぎれる。おりおり生垣の外を、跣足《はだし》の子供が、「花柴《はなしば》々々」と呼びながら、走って通る。樒《しきみ》を売るのである。雨の歇《や》んでいる間は、ひどく蒸暑い。石田はこの夏中で一番暑い日のように感じた。翌日もやはり雨が降ったり止んだりして蒸暑い。夕方に町に出てみると、どの家にも盆燈籠《ぼんどうろう》が点《とも》してある。中には二階を開け放して、数十の大燈籠を天井に隙間なく懸けている家がある。長浜村まで出てみれば、盆踊が始まっている。浜の砂の上に大きな圏《わ》を作って踊る。男も女も、手拭の頬冠《ほおかむり》をして、着物の裾を片折《はしょ》って帯に挟《はさ》んでいる。襪《たび》はだしもあるが、多くは素足である。女で印袢纏《しるしばんてん》に三尺帯を締めて、股引《ももひき》を穿《は》かずにいるものもある。口々に口説《くどき》というものを歌って、「えとさっさ」と囃《はや》す。好《よ》いとさの訛《なまり》であろう。石田は暫く見ていて帰った。
 雛は日にまし大きくなる。初のうち油断なく庇《かば》っていた親鳥も、大きくなるに連れて構わなくなる。石田は雛を畳の上に持って来て米を遣る。段々馴れて手掌《てのひら》に載せた米を啄《ついば》むようになる。又少し日が立って、石田が役所から帰って机の前に据わると、庭に遊んでいたのが、走って縁に上って来て、鶴嘴《つるはし》を使うような工合に首を sagittale の方向に規則正しく振り動かして、膝の傍《そば》に寄るようになる。石田は毎日役所から帰掛《かえりがけ》に、内が近くなると、雛の事を思い出すのである。
 八月の末に、師団長は湯治場《とうじば》から帰られた。暑中休暇も残少なになった。二十九日には、土地のものが皆地蔵様へ詣《まい》るというので、石田も寺町へ往って見た。地蔵堂の前に盆燈籠の破れたのを懸け並べて、その真中に砂を山のように盛ってある。男も女も、線香に火を附けたのを持って来て、それを砂に立てて置いて帰る。
 中一日置いて三十一日には、又商人が債《かけ》を取りに来る。石田が先月の通に勘定をしてみると、米がやっぱり六月と同じように多くいっている。今月は風炉敷包を持ち出す婆あさんはいなかったのである。石田は暫く考えてみたが、どうも春はお時婆あさんのような事をしそうにはない。そこで春を呼んで、米が少し余計にいるようだがどう思うと問うて見た。
 春はくりくりした目で主人を見て笑っている。彼は米の多くいるのは当前だと思うのである。彼は多くいるわけを知っているのである。しかしそのわけを言って好《い》いかどうかと思って、暫く考えている。
 石田は春に面白い事を聞いた。それは別当の虎吉が、自分の米を主人の米櫃《こめびつ》に一しょに入れて置くという事実である。虎吉の給料には食料が這入っている。馬糧なんぞは余り馬を使わない司令部勤務をしているのに、定則だけの金を馬糧屋に払っているのだから虎吉が随分利益を見ているということを、石田は知っている。しかし馬さえ痩《や》せさせなければ好いと思って、あなぐろうとはしない。そうしてあるのに、虎吉が主人の米櫃に米を入れて置くことにして、勝手に量り出して食うというに至っては、石田といえども驚かざることを得ない。虎吉は米櫃の中へ、米をいくら入れるか、何遍入れるか少しも分らないのである。そうして置いて、量り出す時にはいくらでも勝手に量り出すのである。段々春の云うのを聞いて見れば、味噌も醤油も同じ方法で食っている。内で漬ける漬物も、虎吉が「この大きい分は己《おれ》の茄子だ」と云って出して食うということである。虎吉は食料は食料で取って、実際食う物は主人の物を食っているのである。春は笑ってこう云った。割木《わりき》も別当さんのは「見せ割木」で、いつまで立っても減ることはないと云った。勝手道具もそうである。土間に七釐《しちりん》が二つ置いてある。春の来た時に別当が、「壊れているのは旦那ので、満足なのは己のだ」と云った。その内に壊れたのがまるで使えなくなったので、春は別当と同じ七釐で物を烹《に》る。別当は「旦那の事だから貸して上げるが、手めえはお辞儀をして使え」と云っているということである。
 石田は始て目の開《あ》いたような心持がした。そして別当の手腕に対して、少からぬ敬
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