モを表せざることを得なかった。
 石田は鶏の事と卵の事とを知っていた。知って黙許していた。然るに鶏と卵とばかりではない。別当には 〔syste'matiquement〕 に発展させた、一種の面白い経理法があって、それを万事に適用しているのである。鶏を一しょに飼って、生んだ卵を皆自分で食うのは、唯この systeme を鶏に適用したに過ぎない。
 石田はこう思って、覚えず微笑《ほほえ》んだ。春が、若《も》し自分のこんな話をしたことが、別当に知れては困るというのを、石田はなだめて、心配するには及ばないと云った。
 石田は翌日米櫃やら、漬物桶やら、七釐やら、いろいろなものを島村に買い集めさせた。そして虎吉を呼んで、これまであった道具を、米櫃には米の這入《はい》っているまま、漬物桶には漬物の這入っているままで、みんな遣って、平気な顔をしてこう云った。
「これまで米だの何だのが、お前のと一しょになっていたそうだが、あれは己が気が附かなかったのだ。己は新しい道具を買ったから、これまでの道具はお前に遣る。まだこの外にもお前の物が台所にまぎれ込んでいるなら、遠慮をせずに皆持って行ってくれい。それから鶏が四五羽いるが、あれは皆お前に遣るから、食うとも売るとも、勝手にするが好《い》い。」
 虎吉は呆《あき》れたような顔をして、石田の云うことを聞いていて、石田の詞《ことば》が切れると、何か云いそうにした。石田はそれを言わせずにこう云った。
「いや。お前の都合はあるかも知れないが、己はそう極めたのだから、お前の話を聞かなくても好い。」
 石田はついと立って奥に這入った。虎吉は春に、「旦那からお暇《ひま》が出たのだかどうだか、伺ってくれろ」と頼んだ。石田は笑って、「己はそんな事は云わなかったと云え」と云った。
 その晩は二十六|夜待《やまち》だというので、旭町で花火が上がる。石田は表側の縁に立って、百日紅の薄黒い花の上で、花火の散るのを見ている。そこへ春が来て、こう云った。
「今別当さんが鶏を縛って持って行きよります。雛《ひよこ》は置こうかと云いますが、置けと云いまっしょうか。」
「雛なんぞはいらんと云え。」
 石田はやはり花火を見ていた。



底本:「阿部一族・舞姫」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年4月20日発行
   1985(昭和60)年5月20日36刷改版
   1994(平成6)年12月15日54刷
入力:蒋龍
校正:noriko saito
2005年4月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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