チて歩く。翌日になって見ると、五色の紙に物を書いて、竹の枝に結び附けたのが、家毎《いえごと》に立ててある。小倉にはまだ乞巧奠《きこうでん》の風俗が、一般に残っているのである。十五六日になると、「竹の花立《はなたて》はいりませんかな」と云って売って歩く。盂蘭盆《うらぼん》が近いからである。
 十八日が陰暦の七月十三日である。百日紅の花の上に、雨が降ったり止んだりしている。向いの糸車は、相変らず鳴っているが、蝉の声は少しとぎれる。おりおり生垣の外を、跣足《はだし》の子供が、「花柴《はなしば》々々」と呼びながら、走って通る。樒《しきみ》を売るのである。雨の歇《や》んでいる間は、ひどく蒸暑い。石田はこの夏中で一番暑い日のように感じた。翌日もやはり雨が降ったり止んだりして蒸暑い。夕方に町に出てみると、どの家にも盆燈籠《ぼんどうろう》が点《とも》してある。中には二階を開け放して、数十の大燈籠を天井に隙間なく懸けている家がある。長浜村まで出てみれば、盆踊が始まっている。浜の砂の上に大きな圏《わ》を作って踊る。男も女も、手拭の頬冠《ほおかむり》をして、着物の裾を片折《はしょ》って帯に挟《はさ》んでいる。襪《たび》はだしもあるが、多くは素足である。女で印袢纏《しるしばんてん》に三尺帯を締めて、股引《ももひき》を穿《は》かずにいるものもある。口々に口説《くどき》というものを歌って、「えとさっさ」と囃《はや》す。好《よ》いとさの訛《なまり》であろう。石田は暫く見ていて帰った。
 雛は日にまし大きくなる。初のうち油断なく庇《かば》っていた親鳥も、大きくなるに連れて構わなくなる。石田は雛を畳の上に持って来て米を遣る。段々馴れて手掌《てのひら》に載せた米を啄《ついば》むようになる。又少し日が立って、石田が役所から帰って机の前に据わると、庭に遊んでいたのが、走って縁に上って来て、鶴嘴《つるはし》を使うような工合に首を sagittale の方向に規則正しく振り動かして、膝の傍《そば》に寄るようになる。石田は毎日役所から帰掛《かえりがけ》に、内が近くなると、雛の事を思い出すのである。
 八月の末に、師団長は湯治場《とうじば》から帰られた。暑中休暇も残少なになった。二十九日には、土地のものが皆地蔵様へ詣《まい》るというので、石田も寺町へ往って見た。地蔵堂の前に盆燈籠の破れたのを懸け並べて、その真中に
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