》り込んである。弔瓶と石畳との間を忙《いそが》しげに水馬《みずすまし》が走っている。
 一本の密柑の木を東へ廻ると勝手口に出る。婆あさんが味噌汁を煮ている。別当は馬の手入をしまって、蹄《ひづめ》に油を塗って、勝手口に来た。手には飼桶《かいおけ》を持っている。主人に会釈をして、勝手口に置いてある麦箱の蓋《ふた》を開けて、麦を飼桶に入れている。石田は暫く立って見ている。
「いくら食うか。」
「ええ。これで三杯ぐらいが丁度|宜《よろ》しいので。」
 別当はぎょろっとした目で、横に主人を見て、麦箱の中に抛り込んである、縁《ふち》の虧《か》けた轆轤《ろくろ》細工の飯鉢《めしばち》を取って見せる。石田は黙って背中を向けて、縁側のほうへ引き返した。
 花壇の処まで帰った頃に、牝鶏が一羽けたたましい鳴声をして足元に駈けて来た。それと一しょに妙な声が聞えた。まるで聒々児《くつわむし》の鳴くようにやかましい女の声である。石田が声の方角を見ると、花壇の向うの畠を為切《しき》った、南隣の生垣の上から顔を出している四十くらいの女がいる。下太《しもぶと》りのかぼちゃのように黄いろい顔で頭のてっぺんには、油固めの小さい丸髷《まるまげ》が載っている。これが声の主である。
 何か盛んにしゃべっている。石田は誰に言っているかと思って、自分の周囲《まわり》を見廻したが、別に誰もいない。石田の感ずる所では、自分に言っているとは思われない。しかし自分に聞せる為《た》めに言っているらしい。日曜日で自分の内にいるのを候《うかが》っていてしゃべり出したかと思われる。謂《い》わば天下に呼号して、旁《かたわ》ら石田をして聞かしめんとするのである。
 言うことが好くは分からない。一体この土地には限らず、方言というものは、怒って悪口を言うような時、最も純粋に現れるものである。目上の人に物を言ったり何かすることになれば、修飾するから特色がなくなってしまう。この女の今しゃべっているのが、純粋な豊前語《ぶぜんご》である。
 そこで内のお時婆あさんや家主の爺さんの話と違って、おおよその意味は聞き取れるが、細かい nuances は聞き取れない。なんでも鶏が垣を踰《こ》えて行って畠を荒らして困まるということらしい。それを主題にして堂々たる Philippica を発しているのである。女はこんな事を言う。豊前には諺《ことわざ》がある
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