籠を職人に注文して貰うように頼んだ。鳥は羽の色の真白な、むくむくと太ったのを見立てて買った。跡から持たせておこすということである。石田は代を払って帰った。
 牝鶏を持《も》て来た。虎吉は鳥屋を厩の方へ連れて行って何か話し込んでいる。石田は雌雄《めすおす》を一しょに放して、雄鶏が片々《かたかた》の羽をひろげて、雌の周囲《まわり》を半圏状に歩いて挑むのを見ている。雌はとかく逃げよう逃げようとしているのである。
 間もなく、まだ外は明るいのに、鳥は不安の様子をして来た。その内、台所の土間の隅に棚《たな》のあるのを見附けて、それへ飛び上がろうとする。塒《ねぐら》を捜すのである。石田は別当に、「鳥を寝かすようにして遣れ」と云って居間に這入《はい》った。
 翌日からは夜明に鶏が鳴く。石田は愉快だと思った。ところが午後引けて帰って見ると、牝鶏が二羽になっている。婆あさんに問えば、別当が自分のを一羽いっしょに飼わせて貰いたいと云ったということである。石田は嫌《いや》な顔をしたが、咎《とが》めもしなかった。二三日立つうちに、又牝鶏が一羽殖えて雄鶏共に四羽になった。今度のも別当ので、どこかから貰って来たのだということであった。石田は又嫌な顔をしたが、やはり別当には何とも云わなかった。
 四羽の鶏が屋敷中を※[#「求/食」、第4水準2−92−54]《あさ》って歩く。薄井の方の茄子畠《なすばたけ》に侵入して、爺さんに追われて帰ることもある。牝鶏同志で喧嘩《けんか》をするので、別当が強い奴を掴《つか》まえて伏籠に伏せて置く。伏籠はもう出来て来た新しいので、隣から借りた分は返してしまったのである。鳥屋《とや》は別当が薄井の爺さんにことわって、縁の下を為切《しき》って拵《こしら》えて、入口には板切と割竹とを互違《たがいちがい》に打ち附けた、不細工な格子戸を嵌《は》めた。
 或日婆あさんが、石田の司令部から帰るのを待ち受けて、こう云った。
「別当さんの鳥が玉子を生んだそうで、旦那様が上がるなら上げてくれえと云いなさりますが。」
「いらんと云え。」
 婆あさんは驚いたような顔をして引き下がった。これからは婆あさんが度々《たびたび》卵の話をする。どうも別当の牝鶏に限って卵を生んで、旦那様のは生まないというのである。婆あさんはこの話をするたびに、極めて声を小さくする。そして不思議だ不思議だという。婆あさ
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