そろ》。立会《たちあい》は御当代の御名代《ごみょうだい》谷内蔵之允《たにくらのすけ》殿、御家老長岡与八郎殿、同半左衛門殿にて、大徳寺清巌実堂和尚も臨場《りんじょう》せられ候。倅《せがれ》才右衛門も参るべく候。介錯はかねて乃美市郎兵衛勝嘉《のみいちろべえかつよし》殿に頼みおき候。
某|法名《ほうみょう》は孤峰不白《こほうふはく》と自選いたし候《そろ》。身|不肖《ふしょう》ながら見苦しき最期も致すまじく存じおり候。
この遺書は倅才右衛門|宛《あて》にいたしおき候えば、子々孫々|相伝《あいつた》え、某が志を継ぎ、御当家に奉対《たいしたてまつり》、忠誠を擢《ぬきん》ずべく候。
正保《しょうほう》四年|丁亥《ていがい》十二月|朔日《さくじつ》
[#地から2字上げ]興津弥五右衛門景吉|華押《かおう》
興津才右衛門殿
正保四年十二月二日、興津弥五右衛門景吉は高桐院《こうとういん》の墓に詣《もう》でて、船岡山《ふなおかやま》の麓《ふもと》に建てられた仮屋に入った。畳の上に進んで、手に短刀を取った。背後《うしろ》に立っている乃美《のみ》市郎兵衛の方を振り向いて、「頼む」と声を掛けた。
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