又京都へ参らば、万事古橋小左衛門と相談して執り行えと懇《ねんごろ》に仰せられ候。その外|堀田加賀守《ほったかがのかみ》殿、稲葉能登守《いなばのとのかみ》殿も御歌《おんうた》を下され候。十一月二日江戸出立の時は、御当代の御使として田中左兵衛殿品川まで見送られ候。
当地に着《ちゃく》候《そろ》てよりは、当家の主人たる弟又次郎の世話に相成り候。ついては某相果て候後、短刀を記念《かたみ》に遣《つかわ》し候。
餞別《せんべつ》として詩歌《しいか》を贈られ候《そろ》人々は烏丸大納言資慶《からすまるだいなごんすけよし》卿、裏松宰相資清《うらまつさいしょうすけきよ》卿、大徳寺清巌和尚、南禅寺、妙心寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺|並《なら》びに南都興福寺の長老達に候。
明日切腹候場所は、古橋殿|取計《とりはからい》にて、船岡山《ふなおかやま》の下に仮屋を建て、大徳寺門前より仮屋まで十八町の間、藁筵《わらむしろ》三千八百枚余を敷き詰め、仮屋の内には畳一枚を敷き、上に白布を覆《おお》い有之《これあり》候《そろ》由《よし》に候。いかにも晴がましく候て、心苦しく候えども、これまた主命なれば是非なく候《
前へ
次へ
全22ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング