。ついで正保《しょうほう》二年松向寺殿も御逝去遊ばされ、これより先き寛永十三年には、同じ香木の本末を分けて珍重《ちんちょう》なされ候仙台中納言殿さえ、少林城《わかばやしじょう》において御逝去なされ候。かの末木の香は、「世の中の憂きを身に積む柴舟《しばふね》やたかぬ先よりこがれ行らん」と申す歌の心にて、柴舟と銘し、御珍蔵なされ候由に候。その後肥後守は御年三十一歳にて、慶安二年|俄《にわか》に御逝去遊ばされ候。御臨終の砌《みぎり》、嫡子《ちゃくし》六|丸《まる》殿御幼少なれば、大国の領主たらんこと覚束《おぼつか》なく思召され、領地御返上なされたき由、上様《うえさま》へ申上げられ候処、泰勝院殿以来の忠勤を思召され、七歳の六丸殿へ本領|安堵《あんど》仰附けられ候。
某《それがし》は当時|退隠《たいいん》相願い、隈本《くまもと》を引払い、当地へ罷越《まかりこし》候えども、六丸殿の御事《おんこと》心に懸《か》かり、せめては御|元服《げんぷく》遊ばされ候まで、よそながら御安泰を祈念《きねん》致したく、不識不知《しらずしらず》あまたの幾月を相過《あいすご》し候。
然るところ去《さる》承応二年六丸殿
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