金を棄《す》てんこと存じも寄らず、主君御自身にてせり合われ候わば、臣下として諫《いさ》め止め申すべき儀《ぎ》なり、たとい主君がしいて本木を手に入れたく思召されんとも、それを遂げさせ申す事|阿諛便佞《あゆべんねい》の所為《しょい》なるべしと申候。当時|未《いま》だ三十歳に相成らざる某《それがし》、この詞《ことば》を聞きて立腹致し候えども、なお忍んで申候は、それはいかにも賢人らしき申条《もうしじょう》なり、さりながら某はただ主命と申物が大切なるにて、主君あの城を落せと仰《おお》せられ候わば、鉄壁なりとも乗取り申すべく、あの首を取れと仰せられ候わば、鬼神なりとも討果たし申すべくと同じく、珍らしき品を求め参れと仰せられ候えば、この上なき名物を求めん所存《しょぞん》なり、主命たる以上は、人倫の道に悖《もと》り候事は格別、その事柄に立入り候批判がましき儀は無用なりと申候。相役いよいよ嘲笑いて、お手前とてもその通り、道に悖りたる事はせぬと申さるるにあらずや、これが武具などならば、大金に代《か》うとも惜しからじ、香木に不相応なる価を出さんとせらるるは、若輩《じゃくはい》の心得違なりと申候。某申候は、武
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