条行幸の前《まえ》寛永元年五月安南国から香木が渡った事があるので、それを使って、隈本を杵築《きつき》に改めた。最後に興律は死んだ時何歳であったか分からない。しかし万治から溯《さかのぼ》ると、二条行幸までに三十年余立っている。行幸前に役人になって長崎へ往った興津であるから、その長崎行が二十代の事だとしても死ぬる時は六十歳位にはなっている筈《はず》である。こんな作に考証も事々《ことごと》しいが、他日の遺忘のためにただこれだけの事を書き留めておく。
大正元年九月十八日
底本:「カラー版日本文学全集7 森鴎外」河出書房新社
1969(昭和44)年3月30日初版発行
初出:「中央公論」
1912(大正元)年10月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2008年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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