斎殿御事松向寺殿を始《はじめ》とし、同越中守|忠利《ただとし》殿御事妙解院殿、同肥後守|光尚《みつひさ》殿御三方に候えば、御手数ながら粗略に不相成様《あいならざるよう》、清浄なる火にて御焼滅下されたく、これまた頼入り候。某が相果て候今日は、万治元|戊戌年《つちのえいぬのとし》十二月二日に候えば、さる正保二|乙酉《きのととり》十二月二日に御逝去《ごせいきょ》遊ばされ候《そろ》松向寺殿の十三回忌に相当致しおり候事に候。
某《それがし》が相果候|仔細《しさい》は、子孫にも承知|致《いた》させたく候えば、概略左に書残し候。
最早《もはや》三十余年の昔に相成り候事に候。寛永元年五月|安南船《あんなんせん》長崎に到着候節、当時松向寺殿は御薙髪《ごていはつ》遊ばされ候《そろ》てより三年目なりしが、御|茶事《ちゃじ》に御用《おんもち》いなされ候《そろ》珍らしき品買求め候様|仰《おおせ》含められ、相役《あいやく》と両人にて、長崎へ出向き候。幸なる事には異なる伽羅《きゃら》の大木渡来致しおり候。然《しか》るところその伽羅に本木《もとき》と末木《うらき》との二つありて、はるばる仙台より差下《さしくだ》され候|伊達権中納言《だてごんちゅうなごん》殿の役人ぜひとも本木の方を取らんとし、某も同じ本木に望を掛け、互にせり合い、次第に値段をつけ上《あ》げ候。
その時相役申候は、たとい主命なりとも、香木《こうぼく》は無用の翫物《がんぶつ》に有之《これあり》、過分の大金を擲《なげう》ち候《そろ》事《こと》は不可然《しかるべからず》、所詮《しょせん》本木を伊達家に譲り、末木を買求めたき由申候。某申候は、某は左様には存じ申さず、主君の申つけられ候は、珍らしき品を買求め参れとの事なるに、このたび渡来候品の中にて、第一の珍物はかの伽羅に有之、その木に本末《もとすえ》あれば、本木の方が、尤物《ゆうぶつ》中の尤物たること勿論《もちろん》なり、それを手に入れてこそ主命を果すに当るべけれ、伊達家の伊達を増長致させ、本木を譲り候ては、細川家の流を涜《けが》す事と相成可と申候。相役|嘲笑《あざわら》いて、それは力瘤《ちからこぶ》の入れどころが相違せり、一国一城を取るか遣《や》るかと申す場合ならば、飽《あ》くまで伊達家に楯《たて》をつくがよろしかるべし、高が四畳半の炉《ろ》にくべらるる木の切《き》れならずや、それに大
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