玄機は出《いで》て李と相見た。今年はもう十八歳になっている。その容貌の美しさは、温の初て逢った時の比ではない。李もまた白皙《はくせき》の美丈夫《びじょうふ》である。李は切に請い、玄機は必ずしも拒まぬので、約束は即時に成就して、数日の後に、李は玄機を城外の林亭《りんてい》に迎え入れた。
 この時李は遽《にわか》に発した願が遽に※[#「りっしんべん+(はこがまえ<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》ったように思った。しかしそこに意外の障礙《しょうがい》が生じた。それは李が身を以て、近《ちかづ》こうとすれば、玄機は回避して、強いて逼《せま》れば号泣するのである。林亭は李が夕《ゆうべ》に望を懐《いだ》いて往き、朝《あした》に興を失って還るの処《ところ》となった。
 李は玄機が不具ではないかと疑って見た。しかしもしそうなら、初に聘《へい》を卻《しりぞ》けたはずである。李は玄機に嫌われているとも思うことが出来ない。玄機は泣く時に、一旦《いったん》避けた身を李に靠《もた》せ掛けてさも苦痛に堪えぬらしく泣くのである。
 李はしばしば催してかつて遂げぬ欲望のために、徒らに精神を銷磨《しょうま》して、行住座臥《こうじゅうざが》の間、恍惚《こうこつ》として失する所あるが如くになった。
 李には妻がある。妻は夫の動作が常に異なるのを見て、その去住に意を注いだ。そして僮僕《どうぼく》に啗《くら》わしめて、玄機の林亭にいることを知った。夫妻は反目した。ある日岳父が婿《むこ》の家に来て李を面責し、李は遂に玄機を逐《お》うことを誓った。
 李は林亭に往って、玄機に魚家に帰ることを勧めた。しかし魚は聴かなかった。縦令《たとい》二親《ふたおや》は寛仮するにしても、女伴《じょはん》の侮《あなどり》を受けるに堪えないと云うのである。そこで李は兼《かね》て交っていた道士|趙錬師《ちょうれんし》を請待《しょうだい》して、玄機の身の上を託した。玄機が咸宜観に入って女道士になったのは、こうした因縁である。

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 玄機は才智に長《た》けた女であった。その詩には人に優れた剪裁《せんさい》の工《たくみ》があった。温を師として詩を学ぶことになってからは、一面には典籍の渉猟に努力し、一面には字句の錘錬《ついれん》に苦心して、ほとんど寝食を忘れる程であった。それと同時に詩名を求める念が漸《ようや》く増長した。
 李に聘せられる前の事である。ある日玄機は崇真観《しゅうしんかん》に往って、南楼に状元《じょうげん》以下の進士等が名を題したのを見て、慨然として詩を賦《ふ》した。
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遊崇真観南楼《しゆうしんくわんのなんろうにあそび》。覩新及第題名処《しんきふだいのなをだいせしところをみる》。
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雲峯満目放春晴《うんぽうまんもくしゆんせいをはなち》。 歴々銀鈎指下生《れきれきたるぎんこうかせいをさす》。
自恨羅衣掩詩句《みづからうらむらいのしくをおほふを》。 挙頭空羨榜中名《かうべをあげてむなしくばうちゆうのなをうらやむ》。
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 玄機が女子の形骸《けいがい》を以て、男子の心情を有していたことは、この詩を見ても推知することが出来る。しかしその形骸が女子であるから、吉士《きっし》を懐《おも》うの情がないことはない。ただそれは蔓草《つるくさ》が木の幹に纏《まと》い附こうとするような心であって、房帷《ぼうい》の欲ではない。玄機は彼があったから、李の聘に応じたのである。此《これ》がなかったから、林亭の夜は索莫《さくばく》であったのである。
 既にして玄機は咸宜観に入った。李が別に臨んで、衣食に窮せぬだけの財を餽《おく》ったので、玄機は安んじて観内で暮らすことが出来た。趙が道書を授けると、玄機は喜んでこれを読んだ。この女のためには経《けい》を講じ史を読むのは、家常の茶飯であるから、道家の言が却《かえ》ってその新を趁《お》い奇を求める心を悦《よろこ》ばしめたのである。
 当時道家には中気真術と云うものを行う習《ならい》があった。毎月|朔望《さくぼう》の二度、予め三日の斎《ものいみ》をして、所謂《いわゆる》四目四鼻孔|云々《うんぬん》の法を修するのである。玄機は※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1−92−56]《のが》るべからざる規律の下《もと》にこれを修すること一年余にして忽然《こつぜん》悟入する所があった。玄機は真に女子になって、李の林亭にいた日に知らなかった事を知った。これが咸通二年の春の事である。

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 玄機は共に修行する女道士中のやや文字ある一人と親しくなって、これと寝食を同じゅうし、これに心胸を披瀝《ひれき》した。この女は名を采蘋《さいひん》と云った。ある日玄機が采蘋に書いて遣《や》った詩がある。
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贈隣女《りんぢよにおくる》
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羞日遮羅袖《ひをさけてらしうもてさへぎる》。   愁春懶起粧《はるをうれひてきしやうするにものうし》。
易求無価宝《もとめやすきはあたひなきたから》。   難得有心郎《えがたきはこゝろあるらう》。
枕上潜垂涙《ちんじやうひそかになみだをながし》。   花間暗断腸《くわかんひそかにはらわたをたつ》。
自能窺宋玉《みづからよくそうぎよくをうかゞふ》。   何必恨王昌《なんぞかならずしもわうしやうをうらまん》。
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 采蘋は体が小くて軽率であった。それに年が十六で、もう十九になっている玄機よりは少《わか》いので、始終|沈重《ちんちょう》な玄機に制馭《せいぎょ》せられていた。そして二人で争うと、いつも采蘋が負けて泣いた。そう云う事は日毎にあった。しかし二人は直《ただち》にまた和睦《わぼく》する。女道士仲間では、こう云う風に親しくするのを対食と名づけて、傍《かたわら》から揶揄《やゆ》する。それには羨《せん》と妬《と》とも交《まじ》っているのである。
 秋になって采蘋は忽《たちまち》失踪《しっそう》した。それは趙の所で塑像を造っていた旅の工人が、暇《いとま》を告げて去ったのと同時であった。前に対食を嘲《あざけ》った女等が、趙に玄機の寂しがっていることを話すと、趙は笑って「蘋也飄蕩《ひんやへうたう》、※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]也幽独《けいやいうどく》」と云った。玄機は字《あざな》を幼微と云い、また※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]蘭《けいらん》とも云ったからである。

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 趙は修法の時に規律を以て束縛するばかりで、楼観の出入などを厳にすることはなかった。玄機の所へは、詩名が次第に高くなったために、書を索《もと》めに来る人が多かった。そう云う人は玄機に金を遣ることもある。物を遣ることもある。中には玄機の美しいことを聞いて、名を索書に藉《か》りて訪《と》うものもある。ある士人は酒を携えて来て玄機に飲ませようとすると、玄機は僮僕《どうぼく》を呼んで、その人を門外に逐《お》い出させたそうである。
 然るに采蘋が失踪した後、玄機の態度は一変して、やや文字を識る士人が来て詩を乞《こ》い書を求めると、それを留《とど》めて茶を供し、笑語※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《しょうごひかげ》を移すことがある。一たび※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]待《かんたい》せられたものは、友を誘《いざな》って再び来る。玄機が客《かく》を好むと云う風聞は、幾《いくばく》もなくして長安人士の間に伝わった。もう酒を載せて尋ねても、逐われる虞《おそれ》はなくなったのである。
 これに反して徒《いたずら》に美人の名に誘われて、目に丁字《ていじ》なしと云う輩《やから》が来ると、玄機は毫《ごう》も仮借せずに、これに侮辱を加えて逐い出してしまう。熟客《じゅっかく》と共に来た無学の貴介子弟《きかいしてい》などは、幸《さいわい》にして謾罵《まんば》を免れることが出来ても、坐客があるいは句を聯《つら》ねあるいは曲を度する間にあって、自《みずか》ら視《み》て欠然たる処から、独り窃《ひそか》に席を逃れて帰るのである。

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 客と共に謔浪《ぎゃくろう》した玄機は、客の散じた後に、怏々《おうおう》として楽まない。夜が更けても眠らずに、目に涙を湛《たた》えている。そう云う夜旅中の温に寄せる詩を作ったことがある。
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寄飛卿《ひけいによす》
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※[#「土へん+皆」、205−11]砌乱蛩鳴《かいぜいらんきようなき》。 庭柯烟露清《ていかえんろきよし》。
月中隣楽響《げつちゆうりんがくひゞき》。 楼上遠山明《ろうじやうゑんざんあきらかなり》。
珍簟涼風到《ちんてんにりやうふういたり》。 瑶琴寄恨生《えうきんにきこんうまる》。
※[#「禾+(尤/山)」、第3水準1−47−84]君懶書札《けいくんしよさつにものうし》。 底物慰秋情《なにごとぞしうじやうをなぐさめん》。
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 玄機は詩筒を発した後、日夜温の書の来《きた》るのを待った。さて日を経て温の書が来ると、玄機は失望したように見えた。これは温の書の罪ではない。玄機は求むる所のものがあって、自らその何物なるかを知らぬのである。
 ある夜玄機は例の如く、燈《ともしび》の下《もと》に眉を蹙《ひそ》めて沈思していたが、漸《ようや》く不安になって席を起ち、あちこち室内を歩いて、机の上の物を取っては、また直《すぐ》に放下しなどしていた。やや久しゅうして後、玄機は紙を展《の》べて詩を書いた。それは楽人|陳某《ちんぼう》に寄せる詩であった。陳某は十日ばかり前に、二三人の貴公子と共にただ一度玄機の所に来たのである。体格が雄偉で、面貌《めんぼう》の柔和な少年で、多く語らずに、始終微笑を帯びて玄機の挙止を凝視していた。年は玄機より少《わか》いのである。
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感懐寄人《かんくわいひとによす》
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恨寄朱絃上《うらみをしゆげんのうへによせ》。 含情意不任《じやうをふくめどもいまかせず》。 早知雲雨会《はやくもしるうんうのくわいするを》。
未起※[#「くさかんむり/惠」、第3水準1−91−24]蘭心《いまだおこさずけいらんのこゝろ》。 灼々桃兼李《しやく/\たるもゝとすもゝ》。 無妨国士尋《こくしのたづぬるをさまたぐるなし》。
蒼々松与桂《さう/\たるまつとかつら》。 仍羨世人欽《なほうらやむよのひとのあふぐを》。 月色庭階浄《げつしよくていかいにきよく》。
歌声竹院深《かせいちくゐんにふかし》。 門前紅葉地《もんぜんこうえふのち》。 不掃待知音《はらはずちいんをまつ》。
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 陳は翌日詩を得て、直《ただち》に咸宜観に来た。玄機は人を屏《しりぞ》けて引見し、僮僕に客を謝することを命じた。玄機の書斎からはただ微《かす》かに低語の声が聞えるのみであった。初夜を過ぎて陳は辞し去った。これからは陳は姓名を通ぜずに玄機の書斎に入ることになり、玄機は陳を迎える度に客を謝することになった。

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 陳の玄機を訪《と》うことが頻《しきり》なので、客は多く卻《しりぞ》けられるようになった。書を索《もと》めるものは、ただ金を贈って書を得るだけで、満足しなくてはならぬことになったのである。
 一月ばかり後に、玄機は僮僕に暇《いとま》を遣《や》って、老婢《ろうひ》一人を使うことにした。この醜悪な、いつも不機嫌な媼《おうな》はほとんど人に物を言うこともないので、観内の状況は世間に知られることが少く、玄機と陳とは余り人に煩聒《はんかつ》せられずにいることが出来た。
 陳は時々旅行することがある。玄機はそう云う時にも客を迎えずに、
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