87−67]理《しょうり》の暇《いとま》には、時々読書をもなさるが宜《よろ》しゅうございましょう」と云ったのである。
 また宣宗が菩薩蛮《ぼさつばん》の詞を愛するので、綯が填詞《てんし》して上《たてまつ》った。実は温に代作させて口止をして置いたのである。然るに温は酔ってその事を人に漏した。その上かつて「中書堂内坐将軍《ちゆうしよだうないしやうぐんをざせしむ》」と云ったことがある。綯が無学なのを譏《そし》ったのである。
 温の名は遂《つい》に宣宗にも聞えた。それはある時宣宗が一句を得て対を挙人中に求めると、温は宣宗の「金歩揺《きんほよう》」に対するに「玉条脱《ぎよくじようだつ》」を以てして、帝に激賞せられたのである。然るに宣宗は微行をする癖があって、温の名を識《し》ってから間もなく、旗亭で温に邂逅《かいこう》した。温は帝の顔を識らぬので、暫く語を交えているうちに傲慢《ごうまん》無礼の言をなした。
 既にして挙場では、沈詢《ちんじゅん》が知挙になってから、温を別席に居らせて、隣に空席を置くことになった。詩名はいよいよ高く、帝も宰相もその才を愛しながら、その人を鄙《いやし》んだ。趙※[#「端
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