揚州《ようしゅう》に往っていた。揚州は大中十三年に宰相を罷《や》めた令狐綯が刺史《しし》になっている地である。温は綯が自己を知っていながら用いなかったのを怨んで名刺をも出さずにいるうちに、ある夜|妓院《ぎいん》に酔って虞候《ぐこう》に撃たれ、面《おもて》に創《きず》を負い前歯を折られたので、怒ってこれを訴えた。綯が温と虞候とを対決させると、虞候は盛んに温の※[#「さんずい+于」、第3水準1−86−49]行《おこう》を陳述して、自己は無罪と判決せられた。事は京師に聞えた。温は自ら長安に入って、要路に上書して分疏《ぶんそ》した。この時徐商と楊収《ようしゅう》とが宰相に列していて、徐は温を庇護したが楊が聴かずに、温を方城に遣って吏務に服せしめたのである。その制辞《せいじ》は「孔門以徳行為先《こうもんはとくかうをもつてさきとなし》、文章為末《ぶんしやうをすゑとなす》、爾既徳行無取《なんぢすでにとくかうのとるなし》、文章何以称焉《ぶんしやうなんぞもつてしようせられんや》、徒負不羈之才《いたづらにふきのさいをおふ》、罕有適時之用《てきじのようあることまれなり》」と云うのであった。温は後に隋県《ずい
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