たいげん》の白居易《はくきょい》が踵《つ》いで起って、古今の人情を曲尽《きょくじん》し、長恨歌《ちょうこんか》や琵琶行《びわこう》は戸ごとに誦《そら》んぜられた。白居易の亡くなった宣宗《せんそう》の大中《たいちゅう》元年に、玄機はまだ五歳の女児であったが、ひどく怜悧《れいり》で、白居易は勿論《もちろん》、それと名を斉《ひとし》ゅうしていた元微之《げんびし》の詩をも、多く暗記して、その数は古今体を通じて数十篇に及んでいた。十三歳の時玄機は始て七言絶句を作った。それから十五歳の時には、もう魚家の少女の詩と云うものが好事者《こうずしゃ》の間に写し伝えられることがあったのである。
そう云う美しい女詩人が人を殺して獄に下ったのだから、当時世間の視聴を聳動《しょうどう》したのも無理はない。
――――――――――――――――――――
魚玄機の生れた家は、長安の大道から横に曲がって行く小さい街にあった。所謂《いわゆる》狭邪《きょうしゃ》の地でどの家にも歌女《かじょ》を養っている。魚家もその倡家《しょうか》の一つである。玄機が詩を学びたいと言い出した時、両親が快く諾して、隣街の窮措
前へ
次へ
全29ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング