87−67]理《しょうり》の暇《いとま》には、時々読書をもなさるが宜《よろ》しゅうございましょう」と云ったのである。
また宣宗が菩薩蛮《ぼさつばん》の詞を愛するので、綯が填詞《てんし》して上《たてまつ》った。実は温に代作させて口止をして置いたのである。然るに温は酔ってその事を人に漏した。その上かつて「中書堂内坐将軍《ちゆうしよだうないしやうぐんをざせしむ》」と云ったことがある。綯が無学なのを譏《そし》ったのである。
温の名は遂《つい》に宣宗にも聞えた。それはある時宣宗が一句を得て対を挙人中に求めると、温は宣宗の「金歩揺《きんほよう》」に対するに「玉条脱《ぎよくじようだつ》」を以てして、帝に激賞せられたのである。然るに宣宗は微行をする癖があって、温の名を識《し》ってから間もなく、旗亭で温に邂逅《かいこう》した。温は帝の顔を識らぬので、暫く語を交えているうちに傲慢《ごうまん》無礼の言をなした。
既にして挙場では、沈詢《ちんじゅん》が知挙になってから、温を別席に居らせて、隣に空席を置くことになった。詩名はいよいよ高く、帝も宰相もその才を愛しながら、その人を鄙《いやし》んだ。趙※[#「端のつくり+頁」、第3水準1−93−93]《ちょうせん》の妻になっている温の姉などは、弟のために要路に懇請したが、何の甲斐《かい》もなかった。
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温の友に李億《りおく》と云う素封家があった。年は温より十ばかりも少くて頗《すこぶ》る詞賦《しふ》を解していた。
咸通《かんつう》元年の春であった。久しく襄陽《じょうよう》に往っていた温が長安に還《かえ》ったので、李がその寓居《ぐうきょ》を訪ねた。襄陽では、温は刺史《しし》徐商《じょしょう》の下《もと》で小吏になって、やや久しく勤めていたが、終《つい》に厭倦《えんけん》を生じて罷《や》めたのである。
温の机の上に玄機の詩稿があった。李はそれを見て歎称《たんしょう》した。そしてどんな女かと云った。温は三年前から詩を教えている、花の如き少女だと告げた。それを聞くと、李は精《くわ》しく魚家のある街《まち》を問うて、何か思うことありげに、急いで座を起った。
李は温の所を辞して、径《ただ》ちに魚家に往《い》って、玄機を納《い》れて側室にしようと云った。玄機の両親は幣《へい》の厚いのに動された
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