ありましょう。今|伯楽《はくらく》の一顧を得て、奔※[#「足へん+是」、第4水準2−89−42]《ほんてい》して千里を致すの思があります。願わくは題を課してお試み下さい」と云ったのである。
 温は微笑を禁じ得なかった。この少女が良驥《りょうき》を以て自ら比するのは、いかにもふさわしくないように感じたからである。
 玄機は起《た》って筆墨を温の前に置いた。温は率然「江辺柳」の三字を書して示した。玄機が暫《しばら》く考えて占出《せんしゅつ》した詩はこうである。
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賦得江辺柳
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翠色連荒岸《すゐしよくくわうがんにつらなり》。 烟姿入遠楼《えんしゑんろうにいる》。
影鋪秋水面《かげはしうすゐのおもてにのべ》。 花落釣人頭《はなはつりびとのかうべにおつ》。
根老蔵魚窟《ねはおいてぎよくつかくれ》。 枝低繋客舟《えだはひくくきやくしうつながる》。
蕭々風雨夜《せうせうたりふううのよ》。 驚夢復添愁《ゆめよりさめてまたうれひをそふ》。
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 温は一|誦《しょう》して善《よ》しと称した。温はこれまで七たび挙場に入った。そして毎《つね》に堂々たる男子が苦索して一句を成し得ないのを見た。彼輩《かのはい》は皆遠くこの少女に及ばぬのである。
 此を始として温は度々魚家を訪ねた。二人の間には詩筒《しとう》の往反《おうへん》織るが如くになった。

       ――――――――――――――――――――

 温は大中元年に、三十歳で太原《たいげん》から出て、始て進士の試《し》に応じた。自己の詩文は燭《しょく》一寸を燃《もや》さぬうちに成ったので、隣席のものが呻吟《しんぎん》するのを見て、これに手を仮《か》して遣《や》った。その後挙場に入る毎に七八人のために詩文を作る。その中には及第するものがある。ただ温のみはいつまでも及第しない。
 これに反して場外の名は京師《けいし》に騒いで、大中四年に宰相になった令狐綯も、温を引見して度々筵席に列せしめた。ある日席上で綯が一の故事を問うた。それは荘子《そうし》に出ている事であった。温が直ちに答えたのは好《い》いが、その詞《ことば》は頗《すこぶ》る不謹慎であった。「それは南華に出ております。余り僻書《へきしょ》ではございません。相公《しょうこう》も※[#「燮」の「又」に代えて「火」、第3水準1−
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