と云えば」末造は再び女房の手を振り放した。「子供が目を覚すじゃないか。それに女中部屋にも聞える」翳《かす》めた声に力を入れて云ったのである。
末の子が寝返りをして、何か夢中で言ったので、お上さんも覚えず声を低うして、「一体わたしどうすれば好《い》いのでしょう」と云って、今度は末造の胸の所に顔を押し附けて、しくしく泣いている。
「どうするにも及ばないのだ。お前が人が好《い》いもんだから、人に焚《た》き附けられたのだ。妾だの、囲物だのって、誰《たれ》がそんな事を言ったのだい」こう云いながら、末造はこわれた丸髷のぶるぶる震えているのを見て、醜い女はなぜ似合わない丸髷を結いたがるものだろうと、気楽な問題を考えた。そして丸髷の震動が次第に細かく刻むようになると同時に、どの子供にも十分の食料を供給した、大きい乳房が、懐炉を抱いたように水落《みずおち》の辺《あたり》に押し附けられるのを末造は感じながら、「誰が言ったのだ」と繰り返した。
「誰だって好いじゃありませんか。本当なんだから」乳房の圧はいよいよ加わって来る。
「本当でないから、誰でも好くはないのだ。誰だかそう云え」
「それは言ったってかまい
前へ
次へ
全167ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング