の散歩の途中で、岡田が何をするかと云うと、ちょいちょい古本屋の店を覗《のぞ》いて歩く位のものであった。上野広小路と仲町との古本屋は、その頃のが今も二三軒残っている。お成道にも当時そのままの店がある。柳原のは全く廃絶してしまった。本郷通のは殆ど皆場所も持主も代っている。岡田が赤門から出て右へ曲ることのめったにないのは、一体森川町は町幅も狭く、窮屈な処であったからでもあるが、当時古本屋が西側に一軒しかなかったのも一つの理由であった。
岡田が古本屋を覗くのは、今の詞で云えば、文学趣味があるからであった。しかしまだ新しい小説や脚本は出ていぬし、抒情詩《じょじょうし》では子規の俳句や、鉄幹の歌の生れぬ先であったから、誰でも唐紙《とうし》に摺《す》った花月新誌や白紙《はくし》に摺った桂林一枝《けいりんいっし》のような雑誌を読んで、槐南《かいなん》、夢香《むこう》なんぞの香奩体《こうれんたい》の詩を最も気の利いた物だと思う位の事であった。僕も花月新誌の愛読者であったから、記憶している。西洋小説の翻訳と云うものは、あの雑誌が始て出したのである。なんでも西洋の或る大学の学生が、帰省する途中で殺される話
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