好かろうと、心の上辺で思って見るに過ぎない。
それでも爺いさんはこの頃になって、こんな事を思うことがある。内にばかりいると、いろんな事を思ってならないから、己《おれ》はこれから外へ出るが、跡へ娘が来て、己に逢われないのを残念がるだろう。残念がらないにしたところが、切角来たのが無駄になったとだけは思うに違いない。その位な事は思わせて遣っても好《い》い。こんな事を思って出て行くようになったのである。
上野公園に行って、丁度|日蔭《ひかげ》になっている、ろは台を尋ねて腰を休めて、公園を通り抜ける、母衣《ほろ》を掛けた人力車を見ながら、今頃留守へ娘が来て、まごまごしていはしないかと想像する。この時の感じは、好い気味だと思って見たいと云う、自分で自分を験《ため》して見るような感じである。この頃は夜も吹抜亭《ふきぬきてい》へ、円朝の話や、駒之助《こまのすけ》の義太夫《ぎだゆう》を聞きに行くことがある。寄席にいても、矢張娘が留守に来ているだろうかと云う想像をする。そうかと思うと又ふいと娘がこの中に来ていはせぬかと思って、銀杏返しに結《い》っている、若い女を選《よ》り出すようにして見ることなどがあ
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