、探りを入れて見たが、子供らしい、なんでもない事だと云うのであった。しかし十一時過ぎにこの家を出て、無縁坂をぶらぶら降《お》りながら考えて見れば、どうもまだその奥に何物かが潜んでいそうである。末造の物馴れた、鋭い観察は、この何物かをまるで見遁《みのが》してはおらぬのである。少くも或る気まずい感情を起させるような事を、誰《たれ》かがお玉に話したのではあるまいかとまで、末造は推測を逞《たくましゅ》うして見た。それでも誰が何を言ったかは、とうとう分からずにしまった。
拾壱《じゅういち》
翌朝お玉が、池の端の父親の家に来た時は、父親は丁度|朝飯《あさはん》を食べてしまった所であった。化粧の手間を取らないお玉が、ちと早過ぎはせぬかと思いながら、急いで来たのだが、早起の老人はもう門口《かどぐち》を綺麗に掃いて、打水をして、それから手足を洗って、新しい畳の上に上がって、いつもの寂しい食事を済ませた所であった。
二三軒隔てては、近頃待合も出来ていて、夕方になれば騒がしい時があるが、両隣は同じように格子戸の締まった家で、殊に朝のうちは、あたりがひっそりしている。肱掛窓《ひじかけまど》から外を見れば、高野槙の枝の間から、爽《さわや》かな朝風に、微かに揺れている柳の糸と、その向うの池一面に茂っている蓮《はす》の葉とが見える。そしてその緑の中に、所所に薄い紅《べに》を点じたように、今朝《けさ》開いた花も見えている。北向の家で寒くはあるまいかと云う話はあったが、夏は求めても住みたい所である。
お玉は物を弁《わきま》えるようになってから、若し身に為合《しあわ》せが向いて来たら、お父っさんをああもして上げたい、こうもして上げたいと、色々に思っても見たが、今目の前に見るように、こんな家にこうして住まわせて上げれば、平生の願《ねがい》が※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》ったのだと云っても好《い》いと、嬉しく思わずにはいられなかった。しかしその嬉しさには一滴の苦い物が交っている。それがなくて、けさお父っさんに逢うのだったら、どんなにか嬉しかろうと、つくづく世の中の儘《まま》ならぬを、じれったくも思うのである。
箸を置いて、湯呑みに注《つ》いだ茶を飲んでいた爺いさんは、まだついぞ人のおとずれたことのない門《かど》の戸の開《あ》いた時、はっと思って、
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